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この項では我々鬼師が、日々向き合う「鬼」というものをどう捉えているのか。
もっと言えば「鬼の真の姿」についてお話をさせていただこうと思います。
それというのも、「鬼」が死霊や邪悪なモノの代名詞とされ、ネガティブな扱いを受けるという哀しい事態が一般化されているから――
けれど、そればかりが必ずしも真実ではないから――
でございます。
さて、
それではここで歴史をさかのぼり、白鳳文化期までタイムスリップいたしてみましょうか。
そして路傍から、塀越しに屋根を見上げる気持ちになってみてください。瓦葺きの屋根でございます。
するとそこに、獣か鬼の面に似た装飾瓦が視界に入るはずです。
この装飾瓦が、日本で登場した最初の時代の鬼瓦でございます(鬼瓦という名称はまだありませんが)。
ところが。
この時代と前後するように書かれた「出雲国風土記」などでは、すでに鬼を悪者として描く寓話の類は多く存在しておりました。
そればかりか、鬼の悪行はその後も読み物や草子に度々登場します。
それらの事実は、鬼イコール悪いモノというイメージが、古代から日本人に刷り込まれていた証といえましょう。
と、なるとでございます。
一つの疑問が生まれてきませんでしょうか。
「なぜ、瓦職人たちは魔物の一種である鬼を魔除けの象徴としたのか」
これは、鬼師の家系に生まれた私にも、幼い時分からの疑問でございました。
疑問なので、小さな脳を使って精一杯考えます。
そして何となく持論が形成され、
やがて成長とともに資料を読みあさり、
その持論と通じる説に邂逅することが何度か出来ました。
つまり、鬼師の造る鬼の正体を掴めたということでございます。
これ以上引っ張っても仕方がございませんので、結論から申しましょう。
「瓦に描かれる鬼とは、仏教でいう羅刹天や前鬼・後鬼に通ずるモノである」
ということ。
それというのも、上記の鬼たちはブッダや徳の高い人物に調伏され、仏法を守護する鬼神であったからです。
つまり、善いモノでございます。
その在り様を形容するなら、「気は優しく顔は怖い」
いったい、これほど魔除けに向いたモノが他にあるでしょうか。
まだ寺社仏閣に使われることが多かった白鳳文化期、当時の職人たちが神仏の守護者として鬼神を選択したのは必然だったと言えると存じます。
この結論は私こと六代目・順一が導き出した愚見ではございますが、先代たちも口にして伝えることこそなかったものの、同じ考えだったのではないかと、今彼らの背中を思い出しながら感じるところでございます。
ところで。
ここからは余談になりますが、私が小さい時分から、我が家では節分の掛け声は、
「福は~うち~」だけでございました。
家庭内で節分の音頭をとった母もまた鬼師だったからでございましょう。
(調べてみますと、「福は内」の掛け声だけの地域や職種というのは他にもあるようですね。少し嬉しい気持ちになりました)
もし、読者さまのお宅にも鬼瓦がございましたら、次の節分にはどうか「ごくろうさん」と鬼たちをねぎらってやってくださいませ。
※本項の内容には諸説ございます
2015年1月31日更新