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こんにちは。
いつもは北川の「鬼瓦」をご紹介する当ページなのですが、 「そもそも鬼瓦って何?」という質問が何度か届いておりました。
そこで今回は鬼瓦そのものを話題にしたいと思います。
実は鬼瓦が今の姿に辿り着くまでには、いくつかの大きなターニングポイントがありました。 飛鳥時代や鎌倉時代、室町時代などなど。
このうち室町時代に対しては、以下のような説があります。 「室町時代、鬼瓦職人は『能面』に影響を受けていた可能性がある」 というものです。 他の工芸に影響を受けていた、というのはあり得そうな話です。
ということで、「鬼瓦が何か」を探るため私と一緒に上の説を検証してみませんか。 検証にあたり二枚の写真を用意いたしました。
写真一枚目は室町以前の鬼面です。
そして二枚目は能面ではなく、ご先祖筋である村の神楽面です。
この二つを眺めながら、室町より前から繊細なお顔であった仏像を思い浮かべてみます。 仏像と比べると、神楽面も鬼面もまだ幼稚という印象を受けます。 能面と比べても稚拙という気がします。
室町以前の神楽面と鬼面は、稚拙物同士のようです。
一方でこの二つは神仏を表す物同士でもあります。 であれば、 鬼瓦は能面から影響を受けたのではなく、 「神楽面と鬼面は影響しあいながら、神楽面は能面へ、鬼面はリアリティある姿へ昇華していった」 というのはどうでしょうか。
私発の新説です。
と、やや恰好つけたところで、今回はお仕舞とさせて頂きます。 皆様は鬼瓦の変革、どうお考えになられたでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
2019年1月24日更新