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福井県越前市の鬼瓦工房「北川鬼瓦」魔除け、厄除け、縁起物、手造り鬼瓦、
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記事

土の文化

こんにちは。

今日は、本邦の古い古い土にまつわる文化について少しお話をさせて頂こうかと思います。

そう思い立ったのは、本日の新聞に下の様な記事が載っていたからでございます。

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記事は、縄文時代後期~晩期の土製耳飾りが1980年代に発見されたことから始まり、日本人の、土とその創作についての考察へと展開してゆきます。

その流れがとてもスムーズでしたので、鬼師としての感想も交えながら記事について皆さまにお話がしたくなり、本日この話題を選んだ次第でございます。

さて。

私ども北川鬼瓦が工房を構える池ノ上町は、弥生時代には陶器製作の産地として確立していたようでございます。

残念なことに、私の調べた郷土資料では、縄文時代の土器製作についてまでは記されておりませんでした。

一方、群馬県で発見された写真の耳飾り類は、
内部の彫り込みが巧みであり、説明されなければ現代の名の知れた工匠が手掛けたものと勘違いしてしまうほどの精緻さであるという旨の記述がございました。

写真中央付近の飾りなどを見ますと、確かにそれも納得のお話。

しかもこれは、まだ金属加工が日本で行われる前の時代の物です。
石や木のナイフ類でここまで土を磨けるのかと、職人としては大変ゾクゾクする出来栄えでございます。

しかも、どうも心を揺さぶられるのは職人だけではなく、
記事では、かの岡本太郎氏が縄文土器を見て「四次元の造形」と評したと書いております。

氏が四次元という表現を使ったのは、この時代の土器が「体」を表わし、目、鼻、口などという穴から人は外界とリンクするという独特の思想を、土器が(縄文人の)代わりに伝えてくる故のことのようでございます。

記事ではそのような、日常品でありながら祭事的な土器を、世界の全体性を体現するマルチメディアだったのではないかと考察しております。

そして、対する現代の器は、器のみとしての機能しかなく、縄文時代のそれとは根源的に違うものであるという主旨の表現が書かれております。

その変化自体は個々人で意見の分かれるところであり、僭越ながらそれで良いのだと愚考いたします。

では。私という鬼師がこの一連の文章を読みどう感じたのか。

近年の鬼瓦の変化と同じ?

そう感じたのでございます。

平瓦の継ぎ目などを覆うという機能的な役目と、魔除けや招福という神秘性の両方を持つ鬼瓦というものは、縄文式の考えに寄った存在として生まれました。

それに対し現代では、神秘的な役目は取り払われ、鬼の面も縁起物の細工もないカエズと呼ばれる瓦が、機能的に瓦の継ぎ目をふさぐことが多くなってまいりました。

もちろん。
鬼瓦に関してもまた、個々人で様々な意見があって良いのだと存じます。

最後に。
再び記事の中の一文をかいつまんでご紹介させて下さいませ。

――古事記冒頭の国産みは、泥土をこねまわすことから始まる――

古事記はあくまでも神話でございます。

しかし、おそらくは国の別なく、人間は「土」をこねまわすことから文明を始め、
「土」に機能性以上のものを求めながら進んできた。

では、土に機能性のみを求め続けた時、文明はどうなるのでしょうか。

古き人々と同じように、毎日土をこねまわしながら生きている私。

その私は縄文式耳飾りの記事を拝読し、今日そのように感じました。

それではまた来週お会いいたしましょう。

2015年5月9日更新